AIの発展は、人類にとって得なのか。
最近こういう話をよく見る。
「AIに仕事を奪われる!」
「AIが人類を支配する!」
「AIは危険だ!」
「人間の温かみが失われる!」
分かる。怖いよね。
でも正直、AIに支配される前に、すでにスマホとSNSとおすすめ動画に支配されてる人類が何を言ってるんだという気持ちもある。
朝起きてスマホ。
飯食いながらスマホ。
トイレでもスマホ。
寝る前にスマホ。
そして「AI怖い」。
いや、もうだいぶ負けてるだろ。
というわけで今回は、AIの発展が人類にとって得なのかを考えていく。
先に結論を言うと、俺は人類全体で見れば得だと思っている。
ただし、全員が得するとは一言も言ってない。
ここが大事。
AIは人類にとって追い風になる。
でも、風を受けて進む人もいれば、普通に吹き飛ばされる人もいる。
AIは普通に便利。これは認めろ
まず、AIは便利である。
ここを否定するのは無理がある。
文章を書く。
画像を作る。
コードを書く。
調べ物をする。
資料を整理する。
アイデアを出す。
メール文を整える。
長い文章を要約する。
今まで「うわ、めんどくせえ」と思っていた作業の初動を、AIはかなり軽くしてくれる。
特に強いのは、白紙を埋める力だ。
人間にとって一番つらいのは、何もない状態から始めること。
真っ白な画面。
点滅するカーソル。
減っていくやる気。
増えていくYouTubeの視聴履歴。
その地獄みたいな初動を、AIはとりあえず埋めてくれる。
これはデカい。
もちろん、AIの出力はそのまま使えるとは限らない。
普通に間違えるし、薄いし、たまに自信満々でデタラメを言う。
でも、人間もわりとそうである。
むしろ、人間の方が間違えても謝らないことがある。
AIは少なくとも「すみません、先ほどの回答は不正確でした」と言う。
人間は「いや、そういう意味で言ったんじゃない」とか言い出す。
面倒くさいのはどっちだ。
問題はAIじゃなくて、使う側の人間
AIの怖さは、AIそのものよりも、使う人間の差を露骨に広げるところにある。
考える人がAIを使うと、作業が速くなる。
調べる人がAIを使うと、視野が広がる。
作れる人がAIを使うと、量と質の両方が上がる。
一方で、考えない人がAIを使うとどうなるか。
それっぽい文章をそのまま貼る。
AIが言ったことを信じる。
間違っていても気づかない。
「AIで簡単に稼げる」と言われて情報商材を買う。
そしてまた「AI怖い」と言う。
いや、怖いのはAIじゃない。
あんたの無警戒さだ。
AIは、頭のいい人をさらに速くする。
そして、考えない人に「考えなくてもいい気がする錯覚」を与える。
ここが一番危ない。
AIを使えば賢くなるわけではない。
AIを使えば自動で稼げるわけでもない。
AIを使えば人生がチートモードになるわけでもない。
AIは魔法のランプではない。
どちらかと言うと、高性能な電動工具である。
使える人が持てば家が建つ。
使えない人が持てば指を飛ばす。
「AIに仕事を奪われる」は半分正しい
AIの話になると、よく出てくるのがこれ。
「AIに仕事を奪われる」
これは半分正しい。
単純な文章作成。
テンプレの資料作成。
それっぽい画像生成。
情報を並べるだけの記事。
コピペに毛が生えたような作業。
このあたりは、かなりしんどくなると思う。
今まで「作業量」で食えていた仕事は、AIによって単価が下がる可能性がある。
なぜなら、作業そのものが速くなるからだ。
ただし、全部の仕事が消えるわけではない。
残るのは、判断する仕事だ。
何を作るか決める。
誰に届けるか考える。
AIの出力を選別する。
間違いを見抜く。
人間相手に調整する。
責任を持って公開する。
ここはまだ人間の領域として残る。
ただし、安心しすぎるのも危ない。
「AIには人間の温かみがないから大丈夫」とか言って何もしない人がいる。
気持ちは分かる。
でも、温かみだけで請求書は払えない。
人間にしかできない仕事は残る。
でも、その仕事に求められるレベルは上がる。
AIが下準備を一瞬で終わらせるなら、人間はその先を求められる。
つまり、「ただ作業する人」より「判断できる人」が強くなる。
AIで得する人、損する人
AIで得する人は分かりやすい。
目的がある人。
検証できる人。
調べ直せる人。
AIを部下みたいに使える人。
最後の責任を自分で取れる人。
こういう人にとって、AIはかなり強い武器になる。
逆に、AIで損する人も分かりやすい。
AIに丸投げする人。
AIの答えをそのまま信じる人。
「誰でも稼げる」に飛びつく人。
楽することと成長することを混同する人。
AIを使っているつもりで、AIに使われている人。
こういう人は、便利になるほど弱くなる。
皮肉な話だが、AIは全員にチャンスを配っているように見えて、実際には人間の差をさらに広げる。
同じAIを渡されても、使う人によって結果がまるで違う。
料理人に包丁を渡せば料理が出てくる。
素人に包丁を渡すと、まずまな板の上が事件現場になる。
道具は同じでも、結果は同じにならない。
人類全体では得。でも個人では普通に格差が出る
では、AIの発展は人類にとって得なのか。
俺の答えは、人類全体で見れば得だ。
医療、研究、教育、翻訳、プログラミング、創作、事務作業。
AIが役に立つ分野は多い。
今まで専門家にしかできなかったことが、個人にも少しずつ開かれていく。
作業は速くなる。
学習のハードルも下がる。
個人ができることの幅も広がる。
これは明らかに得だと思う。
ただし、その恩恵が全員に平等に配られるとは限らない。
AIを使って仕事を広げる人がいる。
AIに仕事を奪われる人がいる。
AIで学ぶ人がいる。
AIの嘘に騙される人がいる。
AIで創作する人がいる。
AI量産コンテンツに埋もれる人がいる。
つまりAIは、人類にとっての追い風であると同時に、準備していない人間にとっては向かい風にもなる。
追い風で進むか。
風圧で転がるか。
それはかなり個人差が出る。
AI時代に必要なのは「信仰」じゃない
AI時代に必要なのは、AIを信じることではない。
AIを疑いながら使うことだ。
AIは便利だ。
でも万能ではない。
AIは速い。
でも責任は取らない。
AIはそれっぽい答えを出す。
でも正しいとは限らない。
AIは優秀な助手になれる。
でも、主人にしてはいけない。
ここを間違えると終わる。
AIに聞くのはいい。
AIに作らせるのもいい。
AIに整理させるのもいい。
でも、最後に判断するのは人間であるべきだ。
「AIが言ってたから」
「AIが作ったから」
「AIで楽にできるから」
このあたりを免罪符にし始めたら危ない。
それはAI活用ではなく、思考の外注である。
結論:AIは得。でも得にできるかは別問題
AIの発展は、人類にとって得だと思う。
ただし、それは全員が自動的に得をするという意味ではない。
AIで楽になる人もいる。
AIで追い込まれる人もいる。
AIで伸びる人もいる。
AIに思考力を吸われる人もいる。
結局、AIは人間を救う魔法ではない。
人間の能力差を、より速く、より大きく表に出す装置に近い。
だから、AIを怖がりすぎる必要はない。
でも、舐めてかかるのも違う。
AIを使う側に回るのか。
AIに使われる側に回るのか。
この差は、これからかなり大きくなる。
人類にとってAIは得か。
たぶん得だ。
でも、あなた個人にとって得にできるかは、また別の話である。
AI時代に一番怖いのは、AIそのものではない。
AIを前にして、自分の頭をさっさと店じまいする人間の方だ。

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